二宮尊徳に学ぶ人材育成・組織づくり

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こんにちは、アイ・コンサルティングの谷川宏樹です。

 

「偉人に学ぶ人材育成・組織づくりシリーズ」今回第5回のテーマは「二宮尊徳(1787~1856年)に学ぶ人材育成・組織づくり」です。

 

 

二宮尊徳といえば、まず思い出されるのは、あの銅像ですよね。薪を背負って歩きながら読書をする二宮金次郎の銅像です。勤労や勤勉の象徴として小学校などによく設置されており、私が通った小学校にもありました。

 

 

以前から歩きながら本を読むのは子供が真似したら危ないという意見もあり、最近は歩きスマホが危険という社会問題もあることなどから、銅像が撤去されたり、座像が設置されたり、ということもあるようです。私の母校にはまだあるのかなぁ・・・。

 

 

さて、勤労・勤勉ということも良いのですが、私たちは他にも尊徳からもたくさん学ぶべきことがありそうです。

 

 

まず、尊徳の考え方として、生涯を通して根底にあるものに「積小為大」という考え方があります。小さなことの積み重ねがいつか大きなものとなる、という考え方です。

 

 

尊徳は、元々は裕福な農家の子どもとして生まれましたが、14歳で父、16歳で母を亡くし、また一族の資産としてそれなりに多く保有していた田畑も、度重なる台風などの影響により、資産価値を失ってしまいます。

 

 

そして、叔父のところで叔父の仕事を助けながら暮らすこととなりました。父の影響で勉強が好きだった尊徳ですが、叔父からは「農民が勉強などしてもしょうがない、夜に灯りを灯して勉強するなどそんな無駄な油を使うな」と言われてしまいます。しかし、農民でも勉強をすることが大事だと考えていた尊徳は、友人からもらった菜種を育てて菜種油を得て勉強をしました。この頃のイメージがあの銅像になったようです。

 

 

この種苗を育てて実らせて収穫を得る、という経験から働くことの喜びを感じ、今度は洪水で荒れた沼地になっていた土地を耕し、普段なら農民が捨ててしまうような余り物の苗を植えて、丹精込めて育てた結果、米一俵を手に入れました。このような経験から尊徳は、地道に働くことにより大自然は正直にそれに応えてくれるということを学びました。

 

 

これを元手に、その後も地道にお家復興を実現させていき、元々裕福であった祖父の時代と同じように多くの土地を保有するようになったのですが、

 

 

ここで、そのイメージから誤解をされていることが多いのが、尊徳は自分自身で全て田畑を朝から晩まで世話して発展させていったのではないということです。実は、途中から自分は奉公人として武士の家に仕える仕事をするようになります。そして田畑の土地を別の農家に貸して、小作料による収入を得るのです。その小作料で贅沢をするわけではありません。その小作料収入を使わずに貯金し、それで新たな土地を買い、またそれを貸す、この繰り返しで、少しずつ土地を増やしていきました。

 

 

「積小為大」という考え方で、小さなことを積み重ねて地道にお家復興を遂げたわけです。

 

 

この考え方を活かして、勤め先の武家の財政復興にも力を発揮し、徐々にその力を知られることになった尊徳は、小田原藩主から、小田原藩の飛び地であり、荒廃した下野国芳賀郡桜町(今の栃木県真岡市の辺り)の復興を依頼されます。

 

 

この復興には、それまで何人もの役人が送り込まれてきましたが、誰一人復興を成し遂げた者がいませんでした。それほど、やっかいな仕事というわけです。小田原藩主はこの復興のために尊徳に一千両の資金を用意しますが、尊徳はなんとこれを断るのです。

 

 

荒地を拓くのは荒地の力を使って行なうべき、貧しさを救うなら貧しい人々の力を使って行なうべき、そうでなくではダメだ、と考えていたのです。

 

 

現代の途上国支援などでも、本当の支援の在り方は、食べ物やお金を渡すことではなく、食べ物の育て方や、お金の稼ぎ方を教育することだ、という話がありますよね。まさに同じことなのだろうと思います。

 

 

とはいえ、それを実行するのはそう簡単ではありません。

 

 

まず、尊徳は農民を教育せずに復興させようとすることは、労多くして実り少なし、と考えて、手厚く農民教育に力を注ぎました。

 

 

まず廻村といって、毎朝4時に起きて村を回りました。農家の家々を1件ずつ回り、農民の生活の様子を見て回ったのです。鍋やかまどの使い方、何を食べているか、どういう布団で寝ているか、健康状態はどうか、等々、細かなところまで、約200戸を1件1件回ってアドバイスをしました。これを毎日夜8時くらいまでやりました。

 

 

ここが、尊徳の教育のポイントだと思いますが、田畑の耕し方や、作物の育て方といった収穫量に直結するところではなく、まず、生活の様子から見て回り、教育していったことが重要なところだと思います。またこの時、心田開発といって、心の田んぼを育成する、つまり道徳教育を大切にしていました。

 

 

最初の頃は、農民も新しくやってきた尊徳を信用していないので、言われた時には「ハイハイ」と返事をするが、実際には言うことを聞こうとしなかったようです。しかし、尊徳はそれを咎めたりはしませんでした。

 

 

ここも尊徳の教育のポイントだと思いますが、物事は自分自身で悟らなければ、上から一方的に強制したところで意味がないと考え、相手が悟るまで待つ、というスタンスでじっくりと教育を行ないました。

 

 

現代の企業でもマネージャークラスの方々から「部下が、自分が見ているときはきちんとやるが、いないとやらない」という悩みを時々聞きますが、まさに、部下が自分自身で悟るまで我慢できずに一方的な教育となり、部下はやらされ感によって動いているということだと思います。

 

 

そうして、じっくりと10年かけて、誰も成し遂げられなかった復興を遂げた桜町は、その後の天保の大飢饉の際にも、一人の餓死者も出さなかったのみならず、近隣の村に支援をするまでになっていたといいます。まさに「積小為大」の考え方の通り、地道なことの積み重ねにより、大きなことを成し遂げたというわけです。

 

 

「夫れ我が道は、人々の心の荒蕪を開くを本意とす。心の荒蕪独り開くる時は、地の荒蕪は何万町あるも憂ふるにたらざるが故なり」
(現代語訳)私の道は、人々の荒れはてた心を開くことを本意とする。荒れはてた心が一人開ければ、荒れはてた土地がどれだけあっても心配する必要は無いのである。
(二宮翁夜話より)

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