武田信玄に学ぶ人材育成・組織づくり(前編)

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こんにちは、アイ・コンサルティングの谷川宏樹です。

 

「偉人に学ぶ人材育成・組織づくりシリーズ」今回第7弾のテーマは「武田信玄(1521~1573年)に学ぶ人材育成・組織づくり(前編)」です。このテーマも2回に分けて書きたいと思います。

 

 

人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり
武田信玄の有名な言葉の一つです。

 

 

「どれだけ立派な城を築いても、人がしっかりしていなければ意味が無い。人こそが土台であり、要である。情を持って接すれば、人を味方につけて強固な城以上に国を守ってくれるが、仇に思われるような接し方をすれば、人を敵に回して自分は窮地に立たされる。」という意味です。

 

 

この言葉、人の大切さを説く言葉として有名ですし、信玄自身、そういう意味合いで残したのだと思いますが、面白いことに、実は信玄は、この言葉そのままに地でも行っているのです。

 

 

戦国時代の大名というとお城に住んでいるイメージですし、実際それが普通でした。日本全国に様々なお城があり、観光スポットとして行かれる方も多いのではないでしょうか。しかし、信玄はこの言葉の通り、城を持たず、躑躅ヶ崎館という館に住んでいたのです。

 

 

城を建設する代わりに領土の拡大や国力の成長に資金を回し、そのお陰で貧しかった甲斐の国は豊かになっていきました。また近隣には、配下の武将を住まわせ、まさに文字通り「人は城、人は石垣、人は堀」となっていたわけです。そして、信濃、駿河から美濃の一部にまで勢力を拡大しましたが、領内に敵の侵入を許したことは一度もないということです。

 

 

しかし、時代は戦国時代、しかも「下克上」ということがあちこちで起こっていた時代に、配下の武将との間によほどの信頼関係があるか、少なくとも信玄自身がよほど家臣を信頼していなければ、そんなふうにはできなかっただろうと思います。その背景を探っていきましょう。

 

 

信玄は「武田二十四将」といって優秀な家臣団に支えられていました。

 

 

この「武田二十四将」の生い立ちがとても様々で、血縁者(武田信繁など)や、昔から武田家を支えてきた譜代の家臣(板垣信方など)もいれば、他国から新規に召し抱えられた者(真田幸隆など)、浪人して諸国を放浪していた者(山本勘助)、農民出身で信玄の身の回りの世話をしていた者(高坂昌信)など、実に多種多様です。身分にとらわれずに、有能と思った人材は積極的に登用•抜擢したのです。

 

 

さらにもう少し微妙なニュアンスを探ると、身分に関わらず有能であれば、というよりも、あるポリシーを持って、あえて身分や出身の異なる者を登用し、多様性に富んだ家臣団を意識的に形成したのではないか、とも見えます。

 

 

武田氏の戦略•戦術を記した軍学書の『甲陽軍艦』にこんな記載があります。
「国持つ大将、人をつかふに、一向の侍を好き候て、その崇敬する者共、同じ形儀作法の人計、念比して召し使ふ事、信玄は大きに嫌ふたり」

 

 

つまり、同じような傾向の家臣を集めると、考えや好みも同じ傾向になってしまう。こうしたことを信玄は大いに嫌った、という意味です。

 

 

また、こんなことも言っています。
「渋柿は渋柿として使え。継木をして甘くすることなど小細工である。」
つまり、大将が良いと思うやり方を是として、そこに統一させて行くのではなく、それぞれの多様性を発揮させ、個性を活かすことが大将としてすべきことである、というわけです。

 

 

なるほど、そういうことであれば、配下の家臣たちが、伸び伸び、活き活きと仕事ができたのだろうと想像できますよね。

 

 

ただ、そうは言っても、もともと自分とは異なる境遇で育ち、異なる視点や考え方を持っている者を、選んで登用したり評価したりすることは、考えてみるとそう簡単ではないですよね。

 

 

では、信玄は何を持って判断基準としていたか、家臣の山本勘助にこんなことを言ったそうです。

 

 

「人を見る時には「信念」を見るのだ。信念がなければ向上心がない。向上心がないものは研究心がない。研究心がないものは必ず失言をする。失言をするものは言行が一致せず、恥をわきまえない。恥知らずは何をさせても役には立たぬ」

 

 

「信念」があるかないか、これを基準にして人材を見て、登用していたようです。

 

 

ベースとなる強い思い、信念を持った者たちが、様々な出身や経歴による視点や考え方、知恵を活かして、伸び伸び•活き活きとそれぞれの力を発揮する、そう考えただけで、それは確かに強力な組織だったことであろうと納得が進みますね。

 

 

信玄に学ぶところはまだまだありそうです。今回はここまでにして、つづきは後編をお楽しみにして下さい。

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