武田信玄に学ぶ人材育成・組織づくり(後編)

ブログ20180409【武田信玄に学ぶ人材育成・組織づくり(後編)】画像

こんにちは、アイ・コンサルティングの谷川宏樹です。

 

「偉人に学ぶ人材育成・組織づくりシリーズ」今回第7弾のテーマは「武田信玄(1521~1573年)に学ぶ人材育成・組織づくり(後編)」です。このテーマは2回に分けて書いており、今回は後編になります。

 

 

前回の話の通り、
信玄の家臣団はとても多様性に富んだものでした。しかし、出身も経歴も様々な者たちをただ登用しただけでは、烏合の衆となってしまい、組織として、チームとして、力を発揮することはできません。

 

 

では、どのようにしてその多様な家臣団を上手にマネジメントしていったのでしょうか。その大きな鍵となるのが信玄の意思決定のやり方にあったと考えられます。

 

 

それは「合議制」による意思決定です。

 

 

信玄は意思決定に「合議制」を採用していました。つまり「会議」を盛んに行なったのです。重要な意思決定についても「合議制」によって決定したと言われています。領主の独断、あるいはごく少人数で専制的な意志決定を行う国が多かった戦国時代にあって、これは珍しいことでしょう。

 

 

そして、会議の場では、出席している部下、全員に意見を述べるように促したといいます。ここが最も重要なポイントだと思います。

 

 

「全員に発言をさせる」ということです。

 

 

発言内容の良し悪しや、レベルの高い低いはさておき、何かしら発言をするためには、まず一度自分の頭で考えなければ発言できません。自分の頭で考えることにより、そのことが我が事になるのです。そうやって全員が主体的に参加するプロセスが、チームが同じビジョン•目標や問題解決に向かって活性化するために、極めて重要だと思います。

 

 

チームの足をわざと引っ張るようなことは論外ですが(実際にはそういうことも起こりますが)、チームのビジョン•目標や問題解決に「無関心」のメンバーがいる、あるいは多いようでは、個々の力を最大限発揮して、チーム全体として素晴らしい成果を上げることはできません。皆が我が事として当たることが重要で、その状態を作ることが肝要です。

 

 

ましてや、信玄の家臣団のように多様性があり、元々結束のゆるい連合体だったでしょうから、上から指示命令を下すような、トップダウン型のリーダーシップスタイルでは組織目標に向けて一致団結して協力していくことは成り立ちにくく、この合議のプロセスがことさらに重要だったことでしょう。

 

 

そして、信玄は常日頃、家臣達に「思ったことは何でも進言するように」と言っていました。信玄に対する反対意見であっても怒らずにしっかりと耳を傾け、部下が意見を言いやすい環境を作ったのです。逆に、よく考えもせずに同調するような者を嫌いました。つまり「イエスマン」を良しとしなかったわけです。

 

 

合議制により、成功や勝利を収めた際、その案を発案した家臣には報酬を与え、その功績を称えましたし、逆に失敗した場合でも、発案した家臣を責めることはなく、次からも発言のチャンスを与え続けました。これも発言しやすかったことだろうと思います。発案したからといって、最終的には大将も含め皆で合意して決定したのに、発案者一人にその責めを負わせられたら、余計なことは言わないでおこう、となるでしょう。

 

 

また、武田四天王のひとり、勇将として知られた板垣信形が、ある合戦で周囲が止めるのも聞かず、無謀に兵を進め、結果的に多くの犠牲を出してしまいました。周囲はその無謀さを責めましたが、信玄は、

 

 

「敵の欺きにあいながら、大敗を免れたのはさすが信形。周りの人間のたわ言などには耳を貸すな」

 

 

と励ましたそうです。厳しい裁きを覚悟しただけに琴線に触れ、信形は深く感銘を受けたといいます。

 

 

良かれと思ってやったことで、思わぬ失敗をした時に、誰が一番残念で悔しい思いをして反省しているか。それは本人でしょう。本人の心が一番痛いはずであり、そういう時は責めてもあまり良いことになりません。責めたところで、更に追い詰めて自信を失わせるか、逆に自分を正当化しようとする言い訳を生み出すくらいでしょう。お互いの今後にとって良いことにはなりません。

 

 

そういう時にこそ信玄のように、責めるのではなく、包容することで信頼関係を強固なものとし、次は絶対に失敗するものか、と前向きな気力を沸かせるのだと思います。信玄の家臣への接し方は、そういう人間の心の機微を知り尽くした振る舞いだったのではないでしょうか。

 

 

さて、話は少し変わりまして、今、働き方改革として労働時間の見直しや、仕事と家事の両立に向けた支援の取組みが社会的に盛んになっておりますが、実は信玄も働きやすい職場づくりとして面白いことをやっています。

 

 

いわゆるフレックスタイム制に似たような仕組みを設けていたのです。

 

 

「家臣たちもそれぞれに私用があるだろう。それが気になって仕事に手がつかなくなるのであれば、むしろ先に私用を済ませてから出仕することだ。一日の仕事をこなすことが大事であり、出仕する時間が大事なのではない」

 

 

つまり、家の問題がある時は、それを片付けてから出社すればいいよ、ということになっていたのです。生産性向上のために、働きやすい環境づくり、という視点も持って取り組んでいたわけですね。

 

 

ということで、前回と今回、武田信玄の人材育成•組織づくりについて見てきました。最後に、今一度、全体を整理してポイントをまとめておきます。

 

 

【武田信玄に学ぶ人材育成・組織づくりのまとめ】
・ 「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」という言葉通り、それを地で行くくらい、人を大切にし、信頼関係を築いていた。
・ 「武田二十四将」を見ても、多様な人材登用を意図的に行ない、「渋柿は渋柿として・・・」の言葉の通り、その個性を活かすことをとても大切にした。
・ 「合議制」により、主体的な参加意識を醸成し、チームを同じ方向に向かって、活性化した組織にまとめ上げていった。
・ 反対意見も歓迎し「意見を言いやすい環境づくり」を行なった。
・ 良かれと思って行なった結果の思わぬ失敗を責めず「チャレンジしやすい環境づくり」を行なった。
・ 現代のフレックスタイム制のような「働きやすい環境づくり」を行なった。

 

 

こうしてみると、まるで現代の組織の問題についての話をしているようですね。結局、好ましい人材•組織をつくる上での本質、原理原則は昔も今も変わらないのでしょう。

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中