島津斉彬に学ぶ人材育成・組織づくり

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こんにちは、アイ・コンサルティングの谷川宏樹です。

「偉人に学ぶ人材育成・組織づくりシリーズ」第8弾のテーマは「島津斉彬(1809~1858年)に学ぶ人材育成・組織づくり」です。

島津斉彬は幕末の薩摩藩の名藩主と称される人物であり、西郷隆盛や大久保利通などを抜擢し育てた人物といわれています。その意味では松下村塾の吉田松陰と同じく、日本に大きな影響を与えた人材を何人も輩出した、極めて大きな人材育成の成果を挙げたといって良いでしょう。学ぶところがたくさんあるはずです。

斉彬は、薩摩藩の11代目藩主ですが、10代目藩主の島津斉興と、鳥取藩主の池田斉稷の妹、周子(かねこ)の間に生まれました。母の周子は史記や漢書を読み、教養が深く、その母に帝王学を授けられ、またその後、曽祖父で重豪(8代藩主)から海外の知識を学んで育ちました。「蘭癖」と呼ばれた重豪は西洋文化に明るい人物であり、この母と曾祖父から受けた教育が斉彬に大きな影響を与えたようです。

ちなみに、名門の島津家ではありますが、斉彬の生まれた時代は、薩摩藩はかなり財政がひっ迫していたようです。そんな状況の中、曽祖父の重豪が西洋の新しいモノや贅沢が好きで、そういったものにお金をつぎ込むので、家臣たちは困っていました。

そして、その影響を強く受け西洋に興味の強い斉彬も、同じように金遣いの荒い藩主になるのではないかと、家臣から心配されていたようです。しかし、その重豪が斉彬のことを「将来は名君と呼ばれる」と評価していて、実際にそうなったのは面白いなぁ、と思います。

実際、西洋への興味が強くハイカラなところがあったようですが、趣味として新しいものが好きということばかりではなく、当時の情勢に危機感を抱いていて、西洋の技術を学んで取入れなければならないと強く考えていました。

特に清がアヘン戦争でイギリスに敗れた状況で、次は我が国という危機意識があり、安全保障のために大砲を生産すべく、製鉄のための反射炉建設などを行なっています。

それまで日本ではたたら製鉄が主流だったので、反射炉は全くの新しい技術です。西洋から学び、反射炉を造ると言ってもそう簡単なことではありません。当然、失敗しますよね。そこで失敗をした部下に対して、

「西洋人も人なり、佐賀人も人なり、薩摩人も人なり。屈することなく研究に励むべし」

と励ましたといいます。つまり、西洋人も佐賀人(←日本で最初に反射炉を作った)も薩摩人も同じ人間ではないか、我々にできないはずがない。諦めずに研究に励みなさい。ということです。

失敗を咎めるのではなく、自分たちにもきっとできるはずだ、と自信を持たせています。西洋諸国が進んだ文明、技術を持っていることを斉彬はよく知っています。それでも、同じ人間であるのだからできないはずはない、といった思い。これこそが、斉彬の話に限らず、日本が近代化していく上で大切な精神だったのだと思います。

薩摩藩というと、今でいう九州男児といいますか、その風土は武勇が重視されました。そのよう中で、大久保利通は幼少期から体が弱く、薩摩の風土の中では認められるような人材ではありませんでした。それでも斉彬は、頭が切れて弁も立つ、この才能は活かせるだろうと見込んで、大久保利通を抜擢します。

「およそ人は一能一芸なきものなし、その長所を採択するは人君の任なり」

という名言を斉彬は残しています。どんな人でも必ず長所があるはずだ、という気持ちでいたからこそ、体格が良いわけでもない大久保利通の長所を見抜き抜擢できたのだと思います。もちろん、抜擢して終わりではなく、その長所を伸ばすべく、色々な人物に引き合わせ、育成を行ないました。また、薩摩藩の風土上、他の者から認められにくいために、大久保の長所について他の者に丁寧に諭しました。結果的には、この大抜擢の決断と熱心な育成が、その後の日本に与えた影響はとても大きいわけです。

また、「人身の和は政治の要諦である」という言葉も残しています。

人々が仲良くし、協力することが重要ということです。仮に、もし素晴らしい知恵を持つ戦略家がいて、言うことは全て正論であり、主張することも全て正しい、ということがあったとしても、それを国として、組織として実行していくには、皆がそれに納得をして、共感をして、自分の意志でそれを進めていくという状態にならなければ、実際には実現に至りません。実現に至らないのであれば、100点満点の正論でもその成果は例えば30点とか40点になってしまうでしょう。あるいは、正反対の動きで引っ張り合っていればプラスマイナスゼロで0点かもしれません。逆に80点の選択だったとしても、そこに一致団結して8割や9割進むようなことであれば、その方がずっと良いように思います。聖徳太子も「和を以て貴しとなす」と言っています。やはり、これは時代を超えた原理原則なのでしょうね。

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